「バンクシー展」に行ってきた! アーティスト非公認イベントなのを承知のうえで。
現存する世界で随一のスーパーヒーロー、バンクシー。
権力をあざ笑い、物質主義・商業主義を笑う、革命家。
社会に疑問を感じながら暮らす大衆の心を癒やす、信念のカリスマ。
バンクシーの出現によって、バンクシーがいない世の中がもう考えられなくなりましたよね。
いつの日か彼(※ 特定の男性だと仮定して)が活動を止めたら、後を継ぐ人は現れるんでしょうか?
これほど品格のあるアンダーグラウンドカルチャーな人ってほかにいます??
バンクシーがやらない表現とは。
興味本位の暴力、ドラッグや性的な快楽、デカダンス、自己顕示、男性優位 ……。
アンダーグラウンドに属しながら、集団のステレオタイプとは一線を画しています。
どうすればこんな人になれるんでしょう?
出身とされるイギリスでは、労働者階級出身のロックミュージシャンたちが政治活動を行うお国柄ゆえなのか。
ロンドンでなくブリストル出身だからなのか。
ともかくもイギリスがキーワードなのは間違いなさそうです。
皮肉に満ちた作風もイギリス的。
そのバンクシーの世界中を巡る大展覧会『バンクシー展 天才か反逆者か』が日本にもやってきました。
新型コロナの影響で会期が延び、9月27日(日)まで開催中。
日程と時間指定のチケットをネット購入して、ようやく行ってきましたよ。
自身が主催する美術展では来場者からお金を取らないポリシーのバンクシー当人が一切関与せず、彼いわく「フェイク(嘘っぱち)」なこのイベントに「大人¥1,800」を支払って。
開催場所が美術館でもアートスペースでもなく、エンタメ施設であることも頭に入れつつ。
結果、もろもろ思うところありましたが、それは最後にお話するとして。
バンクシーの実物(何をもって実物というのかもあやふやですけども)を見たことがない私は、作品数の多さに圧倒され活動全般を眺められ、とても勉強になりました。
美術展というより、博物展と呼ぶほうが正しいと感じましたね。
2017年の「デヴィッド・ボウイ」展と同じ、「バンクシー」展。
それでは作品の一部をちょっと見ていきましょう!
17年に中東のパレスチナ自治区(ベツレヘム)内にバンクシーがオープンしたホテルは、イスラエル側との境界線である分離壁すぐ横につくられ、宣伝文句は「世界一悪い眺め」。
バンクシーの聖地ともいえる、現役稼働中のホテルです。
イギリス国旗のパンツを掲げて子どもたちが敬う、パラレルワールド的な現実とも子供のお遊びとも思える、笑えるような怖いようなバンクシーの奥深さがここに。
元は2008年のウォールアートで、299部のリトグラフ(版画)にもなり販売されたようです。
いかにもイギリス上流階級の中年女性たちが、球技のペタンクに興じてます。
なのにボールは爆弾!
戦争すらも、社会の苦しみと無縁な人たちの遊戯にすぎないのでしょうか。
意味もさることながら、色と構図のグラフィック表現が美しい。
これも何重にも奥深いんですよ。
グラフィティ(落書き)を見つからないように描く恐怖をふたりの兵士で再現。
「近くに誰かいる!」って瞬間の緊迫感がスナップ写真のように切り取られています。
右の兵士が描いているのは、ピース(平和)マークという皮肉。
でも色は血のように真っ赤。
銃を構える見張り役は、何か起きたら発砲するのでしょうか !?
思い浮かぶストーリーが際限なく広がります。
警官はバンクシーの永遠のモチーフのようです。
力は正しく使えば民衆を守りますが、一歩間違うと強大な敵になりますから。
サブマシンガンを抱えて天使の羽をつけた警官の顔はスマイル。
この顔が表すのは没個性、人間性の欠如。
銃を乱射しながら笑い続けそう。
でもバンクシーは警官についてこんなコメントを残してます。
“Some people become cops because they want to make the world a better place. Some people become vandals because they want to make the world a better looking place.”
「世界をいい土地にしたいから警官になる人もいる。世界を見栄え良くしたいから破壊者になる人もいる」
決して彼らの全否定はしてません。
道を行く少女の荷物をチェックする警官。
この子が魔法使いが支配するオズの国に竜巻で飛ばされた人間のドロシーとわかると、難民差別、人種差別の構造が浮かび上がってきます。
シリアスな社会問題をファンタジーのオブラートに包み、ユーモラスに軽やかに描くからこそバンクシーの作品が誰の心にも響くのでしょう。
『バンクシー展 天才か反逆者か』では、バンクシー作品がアートビジネスに利用されていることの説明パートも設けられています。
ロンドンの街中にあった「球技禁止」の標識のある壁に、ボール代わりに標識で遊ぶ子どもたちを09年に描き入れたこの絵は、バンクシーのストリートアートを切り出す活動(保全との名目)を行っているシンキュラ・グループが専有して、なぜか3つのパートに分解してオークションに出品。
バンクシー当人は絵を描いたあとの出来事に何も関わっていないそうです。
同グループのおかげで壁から消されずに後世まで残ったのは事実。
私たちがバンクシーの活動を目にできるのも、不遜なアート市場があるからなのも事実。
う〜む……。
珍しく言葉が目に飛び込むバンクシー作品。
見た瞬間この「WRONG WAR」に、「やられた!」と思いまして。
ほら、どう考えても “正しい戦争” なんて存在しないじゃないですか。
たとえテロの報復でも、人道的行動だとしても、その後に国が栄えても、ムダに大勢の人が犠牲になる。
単に “戦争” と書くだけで死神の不気味さが伝わるのに、わざわざ “間違った戦争” と書くバンクシーの皮肉ぶりったら!
物書きの端くれにいる者として、言葉のセンスにしばし感動していたワケです。
……でもあとで調べたら、この絵は03年にイギリスがイラクに侵攻したときに沸き起こった大規模な反戦デモ行進で使われたプラカードだと判明。
バンクシーは素直に、 “この戦争は間違っている” と書いたのでした 笑
私の無知ゆえの拡大解釈。
でも額縁に入れられ観賞対象になったことで(バンクシーは不本意でしょうけど)作品に奥行きが生まれた一例だと、自分に都合よく思うことにしますー。
さて、作品紹介はこれでおしまい。
これからは展覧会そのものについて少しチクリ言わせてくださいませ。
記事の冒頭でも博物館的とお話しましたが、そうですね、
「新しくオープンした動物園に来てみたら、動物の剥製がずらりと並んでた」
っていう感覚がずっと拭えなかったですね。
作品の目がイキイキと輝いている印象は薄く。
「立体展示で読み解くバンクシー図鑑」
という一冊の本を読んだ気分。
(意義はあるんです!)
必ずしも「優れた芸術家=優れた空間演出家」ではありませんから、当人が会場監修をすべきとは思いません。
が、バンクシーに関しては作品がもともとあった場所と切り離せないケースが大半。
版画として複製された絵の横に、街中のオリジナルを撮った風景写真があればイメージが大きく広がったでしょう。
でもウォールアートはすぐに消されちゃいますので、そのときバンクシー側が記録撮影した写真の存在がマスト。
バンクシーの協力がないと展示は難しいのです。
そして、会場について思うところがもうひとつありまして。
あ、いえ、最初から自己責任での入場ならぜんぜんいいんですよ。
ただ申し込みフォーム上で◎の空きとなってた回に完全予約で行ってこの人数は……。
上の写真では伝わりにくいですが、実際はもっと混雑を感じました。
若い客が主流で皆がスマホ見ながら歩いてることも煩雑な原因のひとつ。
(っても撮影OKだから私も撮れたんですけども)
収益ないと開催できないですからねー、仕方ないとは思うんですが、ちょっとモヤッとしましたね。
横浜駅直結の建物「アソビル」は、複合型体験エンターテインメントビル。
バンクシーの世界観との落差もなかなかですし、大人な皆さんは休日の美術散歩というより、
「バンクシーを学ぶぜっ」
ってな気分でぜひ。
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写真 © 高橋一史
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